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ゆるし [課題]

一房の葡萄。NPOコミュニオンのベルセミナーに参加してきました。
作品は有島武郎の「一房の葡萄」でした。

主人公の少年について感じたこと。
絵を描くのが好きで、どうしても表現したい情景があった。・・・とても強い内側からの動機や衝動。
表現するには、必要な色の絵の具がない。
年上の少年ジムは絵が得意でない割にはその絵の具を持っている。
あぁあの絵の具があったらなぁ。親にもお願いしづらい内気な少年。
誰もいない教室。ドキドキしながら、何かに突き動かされるように、やってはいけないと知っている、
人(ジム)の絵の具をとってしまった。

私も、たとえ少年でなくても、似たような強い衝動に突き動かされることが少なからずあった。・・・少年の心情に共感を感じる。
盗みをしたわけではないが、周囲から見ると、合理的思考やつじつまが合わないことをする親族が近くにいた。
ずっとその「ごじゃっぺな」気持ちは分からなかったが、この作品を通してその心情を推し量ることが少しは出来たように思う。

年上の少年ジム・・・の方に多く共感した。
まず怒りだ。自分のものを盗む奴(少年)を許すわけには行かない。
自分だって、自分の内側の衝動を押さえ、社会の規範(ルール)を守っている。
当然この主人公の行為を許すわけにはいかない。許してしまえば、自分があまりにもせつなさ過ぎる。
しかし、主人公の少年の行為が発覚し、その少年が罪の意識から震え、怯え、苦しむ姿を目にする。
自分の怒りを、先生が本当の共感をもって聞いてくれる。このことによってジムの心は変容してゆく。
怒りを先生に受け止めてもらい、主人公の少年の謝罪、苦しむ姿に、共感し、ついには許しの気持ちも起こってゆく。ジムが本来持っている優しい気持ちが湧き出た感じだ。

私も、「この先生」のように、この怒りを受け止めてもらえるなら、私の頑張りや健気さを受け止めてもらえるなら、
少年を許せると思う。

主人公の少年は、ある時は「自分」であり、またある時は「他人」である。
自分への許しであり、他人への許しである。
その許しが起こるのは、「自分の怒り」を批難せず受け止め、他人に共感し、または自分を大事に受け入れることだったように思える。

このような事が、絵を描いたり、ロールプレイをする事によって体感できたことが何よりも良かった。
自分にも、許せない人や、許せない自分というものがあるので、それがなぜだか少しは感じで分かった。


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