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家内とのコラボレーション [プロフィール 履歴]

結婚前は、家内は大学病院、街の病院で薬剤師として長年勤めておりました。勿論薬剤師として調剤などが主な仕事であったには変わらないのですが、ちょっと変わった所があります。

良かれと思ったことは何でも積極的に手をあげてゆくところがあります。その病院には長年の買掛金がたまっていたのですが、家内が購買調達などの仕方を見直し、千万円単位の買い掛けをなくし経営の健全化を図ったのです。勿論、院長などとのアツイ議論(バトル)もあったようですが。

さらに十数年前、事務を効率化する医事システムを導入している所は少なかったそうですが、事務でもないのに、この情報化のリーダをかってでて、試行錯誤の末見事導入を果たしたそうです。

二人の共通の思いとして。。。。。

自分達の専門性や体験を生かして、困っている方、弱い立場になりがちなお年より、子供達の役に立ちたいというのがありました。

最初は夢みたい事を話し合っていたのですが、まずはできる事、成果の出せることから始めようということで決まりました。

それが診療所の先生のお手伝いです。今は先生も厳しい時代に突入しました。大きく変化を求められています。しかし、経営的心配を減らすことによって、先生が医療に専念すればするほど助かるのは、先生と先生を必要としているお年よりや子供達です。

先生の信頼を得るには時間もかかるかも知れませんが、小さなことからきめ細かくやっていこうと話し合いました。

それにしても二人で起業なんて、今の安定した生活が無くなるリスクとも向き合うことを選ぶことになります。(普通はどちらかが反対されるケースが多いようです)

でも決まればあとはどうすれば事業化するか検討し、その手順にそって進めてゆくだけです。

まず家内が代表取締役として会社を起こしました。

問題はいつサラリーマンを辞めて一緒にやるかです。自己リストラをしないと

それは思いがけない形でやってきてしまいました。いつも夜遅くまで仕事、休みは講習などしていたのが祟ったのでしょうか、ひどいめまいに襲われるようになりました。40歳も半ばに近づき若いときと同じように何でもやっていたのが原因でしょう。何度か客先や、職場で倒れ、1週間程度休養をしたことがあります。

ちょっとの疲れだと思っていたのですが、経験したことのないめまいでした。いくつか病院もいきましたが、大きな病があった訳ではありませんでした。マッサージや整体にかかっているうちによくなりました。それは良かったのですが、今までの歩んだ道をふりかえるきっかけにもなりました

仲間もいるし、親しい取引先もいます、新しい仕事を開拓し一生懸命成果を出すように働くことは好きなのですが、もっと自分の描いた内容を実現させたいという気持ちが強くなってゆくのが分かりました。数年前から独立に向けて準備はしていたのですが、中々踏み切れずにいた・・・というのは本音でしょうか

最後は、「人生難しく考えたって仕方ない。」戦後、全ての財産を失って立ち上がった人も大勢いらっしゃる。今は先人たちが経験した厳しい世の中でもない。ましてや日本。

もし世の中の役に立ち、自分も進みたいのに、なぜ躊躇するのか。・・・一度きりの人生というのは真理ではないのか。と自問自答しながら・・・多少大げさに考え踏み切りました。

多分、この休養が無意識からの私を助ける、次のステップへ進ませるための合図だったのではないでしょうか。

「新しい道」を選ぶことを決断しました。新しい道を選んでからは、徐々に身体も以前と同じようになりました。

思わぬきっかけの独立でしたが、準備はそこそこしておりました。家計の備えなども確認しております。安心確実とはいきませんが無謀ではないと思います。(マネする方はいないと思いますが誤解を与えてしまうのも申し訳ないので取り合えず書き加えました)

それで始めたのがこんな会社です。よろしくお願い申し上げます。

http://www.medicalaid.co.jp/


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コーディネータ、プロジェクトマネージャ時代 [プロフィール 履歴]

ここからは経営的視点でお客様の情報化や情報システムの運用のアウトソーシングの推進に携わるようになりました。

ここで経営とは何だろうという事をゆっくりでしたが、現場を通して勉強を始めました。またプロジェクトマネージャとして管理会計の実践もし、ノウハウのない新たな事業開拓に挑戦もしました。

8年間くらい携わっていたでしょうか。

ここで、情報化を通して経営改善のお手伝いができたのが非常に良かったです。このノウハウを活かし、もし喜んでいただければ嬉しいだろうという思いが涌き始めました。

しかし、大規模なシステムを多くの人数で取り組むには、かなりの事業化能力を必要とします。

とにかく、高い投資をしながら、経営に関する講習に参加しながら機会を伺っていました。

その機会は、家内とのコラボレーションを思いつき具体化していった時に訪れました。


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サブマネジャー時代 [プロフィール 履歴]

この頃になると、いかに期限通りに、品質の良いものを、予算通りに納めるようにマネージするかが命題だったように思います。

今のドコモが事業部であった頃のシステム開発に携わりました。

約5年間携わったと思います。マネージャ見習時代ですね。


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海外雄飛時代・・・多少SEらしくなりました。 [プロフィール 履歴]

これまた特殊な海外の警察向け指紋システムに携わっていました。

各ユーザの要件毎に必要な機能を設計し、プログラムに落とし込み、試験を行う。

海外に出張し、国内で試験した要点を再度試験し、システム管理者、エンドユーザの教育を行うというもので、現地のエンジニアや、警察の職員などとも協働で行いました。

1回の出張期間は短くて1ヶ月、長くて3ヶ月というものでしょうか。

出張先は、スペインを皮切りに、オーストラリア各地(シドニー、メルボルン、ゴールドコーストあたり、アデレード)、米国(イリノイ州各地、ミシガン州)などを何回か訪れました。

25歳~30歳の元気盛りですから、とても楽しかったです。確かに一人で何でもしなければ行けない場面も多く、大変なのでしょうが、そのようには感じませんでした。

スペイン語はしゃべれません。日常の用は何とか足せましたが、複雑な仕事の話しはコーディネータの方に頼みました。英語は日本にいる頃から、毎晩スクールに通っていたので、営業のお金の絡む仕事を除き、それほど苦労は無かったように思います。

特に特にスペインの娘は魅力的に映った思い出があります。

これで子供の頃の海外で仕事もしたいという夢が少しは実現したように思います。


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見習時代・・・プログラマー時代 [プロフィール 履歴]

最初の2年間は、電電公社(今のNTT)の電子交換機のコンソール上で動作するアプリケーションを、特殊なアセンブリ言語で作成していました。

世の中は、大会社が情報化をする時代で、莫大な費用で、大規模なシステムを作っていたように思います。設計期間も長く、品質を練りこむ作業も念がいっていました。

膨大な設計書も手書き、プログラミングもパンチングというものでした。


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大学時代・・・困ったことに [プロフィール 履歴]

スポーツに熱中してしまいました。卒業後のことなんて4年生になるまですっかり忘れていました。

一度は経験してみたかった格闘技・・・空手部に入部。そんなに運動神経も良くないし、気もどちらかといと弱いというか、引っ込み思案タイプですし。多分いいように考えるとそんな自分を変えたかったのかも知れません。それに関心が強くいったのだと思います。

まじめというか、空手部に関してはほぼ出席で、最後には2段を取得し、主将までやっていました。責任感でしょうかね。弱いながら、色々工夫しながら強い姿を追い求めていたのでしょう。

様々なバイトもしたのもこの時代ですが、学生服屋さん、観光地の喫茶・スナック、おもち工場が主だったように思います。1日でやめたのが北海道の海産物を各家庭を回り販売するというものでした。良い経験でしたが、社会の仕組みを知るうえでは程遠いものでしたね。

さて、いよいよ社会人へ・・・何をやろうか(ホント馬鹿ですねぇ)

世界を又にかける商人、中東などのプラント開発、この時点で一番やって見たいというのが海外に飛び出して、自分の力を必要としてくれる人達に貢献したいという思いでした。

キーワードは海外、役に立ちたい。国際協力事業団に入ろうかと思ったのですが、自分が直ぐに役たちものを調べると、「空手」を現地の警察官に教えるというものでした。これでは一生武道家になるしかありません。そんな覚悟はできていませんし、そこには自分の能力が発揮できないように感じました。

文字を書く・読むは好きだし、記号(論理)を扱うのもきらいではないし、あまねく多くの人に役立つ情報を届けるということで当時大きく成長し始めた情報産業を選択しました。そこでノウハウ(腕に力)を身に、海外に出て行き、色々な体験をしながら、困っている方や機関の助けになろうと思いました。就職先も、プラントも扱い、情報部もあるというところを探しました。(後で実態は大きく違うと気付くのですが)。

LAN、VAN、情報通信などの言葉が大きく新聞紙上に出始めたのもこの頃でしょうか。まさに「JAPAN AS No1」などという書籍が出る頃ですね。戦後の高度成長のクライマックスの頃なのかも知れません。

職業としてはSEを選択なのですが、広く言えば、サラリーマン(会社員)を選択したということです。

馬鹿な頭で、一人で考えた結論と選択でした。

 


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針路・進路・・・選択する時代 [プロフィール 履歴]

高校から大学へ、そして社会人(大人)へ。とても大切な時期のひとつですね。

さっぱりどうして良いか分からなかったというのが本音です。大学にはいきたいけれど、将来何をしたいのか・・・というのが分からない。(あまりにも情報が少なかったせいかも知れません)

【高校時代】

将来の姿・・・分からなかったですね。多分こんなイメージだったのでは。

先生(大学や研究機関)、会社員、商売(町の中の小売や飲食業)、職人・・・という程度でしょうか。貧弱だったですね(志などがなかったのが原因の一つでしょうか)

しかし、何となく、興味関心があったのが、心理学・哲学、情報学(当時できたのでしょうね)とい程度だったと思います。(さらに)しかし、これでは、先生以外では食べていけないという思いもあったので、この選択はしませんでした。

では何を選択したのか・・・数学科でした。理由は理系という事で、技術職関係食べていけそうだという甘いものでした。

どうも、学校の先生にはなりたくなかったようです。実際は違うのでしょうが、どうも学校の先生は世の中の仕組みというか、教える科目以外はあまり知らないことがあるように思ってしまいました。特に高邁な考え方や人生の指針について教えるわけでもないし。

もっと自分で探せばよかったですが、幼かったですね。

 


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生意気盛りの学生時代・・・扉が開いた [プロフィール 履歴]

誰でも大げさでしょうが、生命の意思を感じるように成長する時代なんでしょうね。

ローカルなところでの事なのに自分にとってはインパクトの多い時代だったように今になると思えます。

休みがちだった小学生時代は、授業にあまり出席できなかった体育と音楽などの成績がアヒルでした。あまりよい気はしなかったけれど。。

中学は1学年250名程度でしたが、色んな面で自分でも驚くような成績が出せるようになりました。

例えば短距離で学年3番、駅伝で県大会出場、飛べなかった跳び箱が最高段まで飛べるようになったり、成績も学年上位になったり、英語の暗唱大会に代表で参加したりしました。

全体からみればたいした事ではないのですが、子供の内面から見れば大きな飛躍を無意識に感じていたのではないかと思います。

原因は様々あると思います。身体の成長、体力の増進、運動部に所属、新しいものを学べるという楽しさ、良き師の導き、多くの友達、勉強しろと言わない両親など・・・自由に制限なく成長できる土台があったように思います。厳しい運動部の練習もありましたが、それに耐えさらに上を目指すように仕向けるモノが自分の底の方にあったのだと思えます。多分、誰でもあるのでしょう。それが開ける環境に恵まれたのでしょう(今はそう感じます)

何でもできるような感覚が身についてくると、自然と親や先生の言うことも聞かなくなる割合も増え、友人や先輩などの意見を尊重するようになったように思います。私の場合は、少し長く大学を卒業する頃まで続いたように思います。

生意気盛り、血が踊る時代なのかも知れません。身体も心も大変革をしてゆく時代なのでしょう。(懐かしいですね。。その頃の勢いが)

 

 

 


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夢見る子供時代 [プロフィール 履歴]

父の勤務の都合で宮城県白石市に生まれ、数年過す。全く記憶がなく大人になり、あらためて当地を訪ね、何となく郷愁にひたりました。

主に茨城県土浦市で高校まで過しましたが、東京には怪獣やウルトラマンがいるのではないかという妄想?空想を持っていたように思います。

大人になったら。。。

最初はプロレスラーを夢見(馬場、猪木全盛時代の影響でしょうか)。

次に海外生活を夢見、外交官になろうと、小学生の頃、英語の本を買って勉強したものです(本当は金髪の人に憧れていたのかも。。)

周囲は活気があったように思います。叔父叔母も多く、その為いとこも多いし、近所の友達も沢山いて、常に成長の中(雰囲気)にいたように思います。

確か昭和47年頃卒業したように思います。(定かではないですが)

しかし、小児喘息や扁桃腺などでよく学校を休んでいました。1ヶ月連続して出席したのは、高学年になってからだと思います。

適当に休めたので楽しかったのかも知れません。宿題は殆どしなかったように思います。よく机のわきや、教室の後ろにたっていたように思います。でもいつも遊ぶ仲間がいたから、なんてこと無かったです。先生もひどく叱るようなことも無かったですね。身体が弱いということで先生も遠慮なされたのかも知れません。

両親も元気に通っているだけで良かったのかも知れませんね。

昔はゆとりの教育だったのでしょうか、授業がわからなくなるということもあまり無かったように思います(自分だけがそう思っているのかも知れません

でも辞書を調べたり、絵を書いたり、本を読んだりすることは好きだったし、一生懸命に先生のお話しを聞いていた事が良かったのかなぁ。

一つ残念だったことは、この時代にコツコツ又は習慣的に勉強する(問題を解く)クセをつけなかったことです。教科書や本を読めばできるという錯覚が最近になるまで取れず、資格をとるような勉強には苦労しています。


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