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霞ヶ浦の総合公園で。。。 [巣作り]

霞ヶ浦総合公園は、車で10分くらいの身近な公園です。

近所に住むおじいちゃん、おばあちゃんも誘って、ピクニックにもいきました。

こういうときが一番なんだと思います。


1歳3ヶ月。。。よたよたですが、、、、走るんですよ(もう、バカ親ですね)


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つくばの公園にて [巣作り]

洞峰公園というちょっと大きめの公園がつくばにあります。

我が家からは車で20分くらいかかるでしょうか。

家族のお楽しみタイムです。
特に娘と・・・

芝生にみどりや、薫風のこの季節はまさに命がわくような季節で、ワクワク感がします。


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突然、胸に込み上げる・・・ [課題]

コミュニオンのベルセミナーを終え、その後楽しく歓談しながらお茶を飲みました。
美味しいバナナケーキなどをいただきながら・・・

1時間以上たったでしょうか。
もうお開きということで、三々五々と参加者が帰って行きました。

私もよくワークで一緒になる方と帰ろうとしているとき。
ベルリーダの方が私に買ってきたばかりの、ポストカードを下さいました。
他のリーダの方は、ポストカードに書かれてある内容を、優しく楽しげに歌いながら、
私たちを見送った下さいました。

ドアをあけまさに帰ろうとする瞬間に、訳もわからず、胸に込み上げる強いものを感じました。
それとともに、涙まで。。。
抑えることも出来ませんでした。

私が苦しい気持ちだったんでしょうか、辛い気持ちを我慢している状態だったからでしょうか。
リーダの方の優しい波動に、心奥の何かに響いたのでしょう。
多分、私自身も気付かないうちに不安を増大させ、我慢しながら、そこから必死に脱出しよう(もがいている姿)、焦燥感に駆られているような姿、分かってもらいたいような助けてもらいたいような、気持ちに共感していただいたと、心深くで私が気付いたからかもしれません。

ここ数年は環境激変の時期でした。
しかし、この1年間はコミュニオンに出会い、新たな方向が定まり、その方向へ歩む力も少しづつついてきている感じです。
それでも、まだ心の中や奥では、優しい気持ちに包まれ、強く、元気に、勇気にあふれるまでには、もう少しの学びが必要なんだと思います。

カードに書かれていた内容です。

ごらん空の鳥
野のゆりを
まきもせず
つむぎもせずに
安らかに生きる
こんなに小さな
いのちにさえ
心をかける
父がいる

とても大事なメッセージを頂きました。

昨日から今日の夕方にかけてはしみじみしてしまうような
深い状態にいることが多かったように感じます。

今は娘と遊んだおかげで日常の気分に戻ったようです。











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ベルセミナー(文学療法) [課題]

取り上げられた作品は、志賀直哉の「清兵衛とひょうたん」

上手く表現できずに残念ですが、鈴木先生のベルセミナーはすごいなぁと思います。

芸術作品に感動することが少ない私でさえ、この作品を通して自分の心の無意識にすむ、かわいい僕が分かり、その僕が自分を生き生きと、活動したいながらも、同じく私の顕在意識である社会的規範の部分や合理的思考に抑えられている、心の状態を鮮やかに浮かびあがらせてくれました。

そして自分にとても「大事なメッセージ」を残してくれました。
何が自分の宝(ひょうたん)なのか。本当に有難いことです。
直感を大事にしてゆこうという思いもあらためて強くなりました。

また今の心の状態は、大人の部分が大分強いんだということを、ワークを通して、認識できることが出来ました。

小学生「清兵衛」の思い、大人たちの思いと、自分の心が感応しあい、何か許されたような感じをいだき、生きる意欲、希望の光りをもたらしてくれ、温かい楽しい思いで胸が一杯になりました。

コミュニオンの様々なワークに参加しながら思うことは、たくさんあるのですが、ベルセミナーを終えた後は、特に心が深い所にいるようで、ちょっとしたことでも、深く共感できるのか、胸にこみ上げてくる思いが多くなるようです。

癒しというのはこういうことなのかと思います。


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寅次郎恋歌 [課題]

1971年 男はつらいよ マドンナ池内淳子 名優 志村喬 出演の作品です。

9月の長雨。お客の入らない旅芸一座を寅さんが尋ねるオープニングから印象的な作品です。
旅。家族のように寄り添う一座の人々。寅さんとの心が触れ合うやり取り。
人間は一人で生きていくものではない、家族、家族のような愛で繋がった人と寄り添って生きるのが自然な姿というようなテーマを感じさせるオープニングである。雨である所がまたいいですね。

印象に残った点はいくつもあるのですが、その中でも・・・いくつか

泣いた箇所
酔った寅さんが、仲間を連れて、夜遅く団子屋に帰ってくる。
酔った勢いで、さくらに歌を無理に歌わせようとする。止めるおいちゃん夫婦。
さくらがしみじみ歌うのは「かあさんの歌」
聞いているこちらまで、しみじみ懐かしさ、温かさが伝わってくる。
騒いでいる3人は、日々のつらい労働や、淋しさを酒で紛らわしているのか、歌声を聞いてしみじみしてお開きになってしまう。旅にでる。

感じた箇所
さくらの夫の博の父役(哲学者役)に志村喬。今回は博の母が亡くなる。
通夜か葬式の晩。大学出の博の兄夫妻は、相続の話。なくなった母さんは幸せだったと言う兄。
欲の少ない女性だったという父。ここで博が、母さんは幸せなんかじゃなかった。自分を押し殺し、皆につくしてだけじゃないか、そんなことも分からないのか。。と身体中から訴えていく。

葬式も終わり、皆が帰り父、一人になって淋しいかと思い、さくらが電話を入れるとそこに、寅さんがいる。
それも楽しげに、博の父が寅さんのごはんの世話もしている。
淋しい、辛いと感じている人のそばには、相手に負担を感じさせないように寄り添う寅さんの姿に、あぁと感じてしまう。
夜の二人の会話。
志村喬が、自分に言い聞かせるがごとく、寅さんに語るセリフがまたいいです。
知らない土地、暗い夜、トボトボ歩く、灯りがもれる家、りんどうが咲き誇る庭。
「人間は絶対に一人じゃ生きていけない。人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。
そこに早く気がつかないと不幸な一生を送ることになる。」

マドンナ(池内淳子)は、小学生の子供を一人抱え、女手一つで喫茶店を柴又にオープンしたばかり。
子供は、皆と馴染めず、どうしたものかと、心を痛め、女親一人だからだろうかと自分を責め。
お金の工面で苦労し。その子供の心を寅さんが開く。お金も何とかしようと奮闘するけど駄目。
そんな晩。マドンナの庭先。りんどうが月明かりに照らされ、マドンナと寅さんの会話。
辛い気持ちでも健気に頑張っているマドンナへの、この寄り添い方がどうにもいいですね。
人と人のつながり、本来の有り様を感じでしまいます。








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ゆるし [課題]

一房の葡萄。NPOコミュニオンのベルセミナーに参加してきました。
作品は有島武郎の「一房の葡萄」でした。

主人公の少年について感じたこと。
絵を描くのが好きで、どうしても表現したい情景があった。・・・とても強い内側からの動機や衝動。
表現するには、必要な色の絵の具がない。
年上の少年ジムは絵が得意でない割にはその絵の具を持っている。
あぁあの絵の具があったらなぁ。親にもお願いしづらい内気な少年。
誰もいない教室。ドキドキしながら、何かに突き動かされるように、やってはいけないと知っている、
人(ジム)の絵の具をとってしまった。

私も、たとえ少年でなくても、似たような強い衝動に突き動かされることが少なからずあった。・・・少年の心情に共感を感じる。
盗みをしたわけではないが、周囲から見ると、合理的思考やつじつまが合わないことをする親族が近くにいた。
ずっとその「ごじゃっぺな」気持ちは分からなかったが、この作品を通してその心情を推し量ることが少しは出来たように思う。

年上の少年ジム・・・の方に多く共感した。
まず怒りだ。自分のものを盗む奴(少年)を許すわけには行かない。
自分だって、自分の内側の衝動を押さえ、社会の規範(ルール)を守っている。
当然この主人公の行為を許すわけにはいかない。許してしまえば、自分があまりにもせつなさ過ぎる。
しかし、主人公の少年の行為が発覚し、その少年が罪の意識から震え、怯え、苦しむ姿を目にする。
自分の怒りを、先生が本当の共感をもって聞いてくれる。このことによってジムの心は変容してゆく。
怒りを先生に受け止めてもらい、主人公の少年の謝罪、苦しむ姿に、共感し、ついには許しの気持ちも起こってゆく。ジムが本来持っている優しい気持ちが湧き出た感じだ。

私も、「この先生」のように、この怒りを受け止めてもらえるなら、私の頑張りや健気さを受け止めてもらえるなら、
少年を許せると思う。

主人公の少年は、ある時は「自分」であり、またある時は「他人」である。
自分への許しであり、他人への許しである。
その許しが起こるのは、「自分の怒り」を批難せず受け止め、他人に共感し、または自分を大事に受け入れることだったように思える。

このような事が、絵を描いたり、ロールプレイをする事によって体感できたことが何よりも良かった。
自分にも、許せない人や、許せない自分というものがあるので、それがなぜだか少しは感じで分かった。


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時折聞こえる内なるメッセージ [課題]

オリジナルでいいんだ、独特でいいんだ、折り合いなんてつけなくていいんだ。

自分らしくやっていいんだ。自分らしくしかできないんだ。(えっ、自分らしくって?!)

回し絵のごとく、協働すれば、調和がうまれるんだ。

楽しい感じが大切なんだ。

人が元気になったり、楽しくなったりする手助けがしたいんだ。困っている人に自分の力を使ってもらいたい(大学を卒業するときに悩んだことと一緒です。あの時は国際協力事業団、海外青年協力隊 VS 海外に出られる、腕にスキルがつく職業で迷い、結局、後者を選んだ。そのスキルを積んでからでないと協力はできないと判断。しかし今は腕にスキルもついたし、多くの経営的な経験も積んだが。・・・しかしそのスキルではなく。もっと、心を豊かに働かせるようなことで、助けになりたいと感じる)

でも、できるかな・・・、どうしたら具体的なものに結びつくんだろう。自分でその姿を設計すればいいのかなぁ。。。少しずつやっていく中で、その姿を浮き彫りになればいいんだから。

経済的に不安だなぁ。。。

そんな不安になるくらいで、やらないんだったら、そんなこと考えるだけ無駄だよ。

手を上げて行け、旗を、のぼりをあげろ。

勇気をふりしぼれ~。

精神的には20歳前半と少しも変わっていないようで、振り出しに戻ったように感じます。どこかで誰かに相談し、導いてもらいたいような幼いような気分なのかもしれないですね。

しかし、目に見えない計らいのもとに、今があるのには変わりはありません。いつまでも立ち止まらずに、歩を進めます。

 

 


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にらみつける [課題]

自分では気づいていない自分の姿。

にらみつける、好戦的、口角があがる意地悪な姿(家内が話してくれました)

時折、イライラしたり、家内に怒ったりすることは意識しています。しかし、外でそのような姿をしているとは、中々認めたくはなかった姿ですが事実のようです。

意識している自分のプラスの姿は、穏やか、面倒見がよい、まぁ親切、どちらかというとニコヤカ、
マイナスのイメージは、臆病、心配性、たよりない・・・。

でも、にらみつける・・・などの姿は明らかにマイナスに思われ、がっかりです。

なぜなら、怖い雰囲気のこわもての人がちょっと優しい一面を見せると、周囲はその人を「根は優しい人なんだ」と好意的にみることが多いように思います。

逆に私の場合は、根は怒り、威圧的、意地悪という感じになってしまいます。(自分の一日を振り返ってもそんな状態は、ちょっとか、無いです)。割りにあわないという感じです。

先日のリスニングセミナーのインナーチャイルドのワークでも、次のような子供時代の自分の姿がでてきました。それは・・・

喘息などで呼吸ができず、死の恐怖におびえ、母親に見捨てられるのが不安という姿。

もう、一方が、母親の言いつけをイヤイヤながらも守ろうとしている暴れん坊な子供の姿(「分かったよ、ちゃんとやるよ、うるせーんだよ!」)

この暴れん坊な子供はすっかり、姿を消して、ジェントルになって良かったと思っていたのですが・・・。もし、病弱でなかったら自分は暴れん坊に成長していったかも知れないと思ったことがありました。

しかし、生き延びるために周囲や、友達に受け入れてもらうために、自分の命を守るために、周囲の期待に反する行動を控え、良く思われるだろうという言動を無意識にしていたのかも知れません。(もし、そうなら健気です)

この弱い自分を克服する為に、また、暴れん坊なエネルギー発散のために、無意識のうちに、スポーツに励み、武道をやったり、身体のエネルギーを発散していたように思います。

わきあいあいの職場や、生まれ育った家庭など安心の場では、結構、暴れん坊的な感情も、少し、少しは出して発散していたように思います。

結婚し、中間管理職になったりし、いつの間にか、そんな本来の自分はなりを潜めていってしまったようです。それが、成長かと思っていたのですが、いつの間にか、自分から「らしさ」の一部を失っていったようにも思えます。

こんなこと書いているとワーッ、と気合一発、思いっきり声を出し、身体を動かしてみたい気がしてきます。人生は冒険、探険だと感じていた20歳台の頃が思い出されます。

これが抑圧なのかなぁ~とも思ってしまいます。

身体のことに人一倍気を使う自分に父の姿をや父の父(祖父)を思い出します。

にらみつける、暴れたいという姿に母の姿や、母の父(祖父)を思い出します。

怒りのエネルギーを抑え、身体を痛めつけて、それを心配して、さらに身体を痛めつけるようでは悪循環を形成してしまいそうです。

なんと、改めて思うに、ここに両親の合作の自分あり。それも、似ないようにと思っていた部分ばかりが似てきたようにも思います。

上手く、これらの身体や感情のエネルギーを発散したいと思うこのごろです。

それが、自分らしいということにつながるのかしら・・・


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心配性 [課題]

私は「病気」に関して特に心配性です。

自分のこと、家族のこと。

自分のことは実際に罹患してしまうまでが特に心配性です。

家族のことは、大心配です。

特に、難しい病気を抱えていたりすると。。。

今すぐ、どうのこうの・・・という訳ではないのですが。

医者ではないので原因は分かりませんが。

ストレスが大きな原因であろうことは、素人にもはっきりわかる気がします。

現在のストレスが過大になり、過去に受けた心の傷を痛めつけている時に症状が出たりするように見受けます。

過去に受けた心の傷は、本人すらその原因が分からない事が多いように思います。

私はこの心の傷を、魂レベルから癒すことが出来れば、症状は治らなくても、かなりの程度回復するのではと思っています。

心配しているのは、本人ではなく私なので、私がこの現実をありのままに受け止めれず動揺しているんだと思います。先ずは、私にこの状況を受け止める力が欲しいです。

でも、どこかで奇跡を望んでいます。


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思い出 [課題]

リスニングセミナーでは、母についてのことが扱われた。

そのような訳で母との関連で昔を思い出したり、想像したことがあったので書いてみます。

書いてゆくことにより、私の肩の荷の一つが見つかるかもしれない気がしたからです。

因みに私の母は元気で近くに父親と二人で暮らしています。

まず、こんな事が頭に浮かびました。

母は7人兄弟姉妹の長女です。戦後まもないことだと思いますが、中学時代に実の母(私の祖母)を亡くしています

しかし、母は私の前で、今まで一度もこの祖母のことを話したり、懐かしんだりしたこともありません。だから私は祖母の名前すら最近まで知りませんでした。私は無意識に、祖母について母に尋ねることを憚ったというか、気を使っていたのかも知れません。

祖母の死は母にとって悲しかったに違いないのでしょうが、息子に話しても仕方の無いことだからと思っていたのかもしれません。

祖父は祖母を亡くしたあと、祖母の妹(母からすれば叔母にあたり、母とは10歳も離れていません)を後添えにしました。この人が私の現在の祖母であり、私の母の母です。

母の精神的な支柱はこの祖母だと思います。子供の頃から今でも、50年にもわたり、近くに住む祖母の家に用もないのに寄り、色々話しながら笑ったりしています。

子供の頃思い出すと、祖母を相手に良く話し、笑い転げている、大笑いしている母の姿が思い出されます。

祖父についても簡単に触れておきます。

20数年前に他界した祖父は明治の人で、ゴッドファーザーのように、恐くて、強い、存在感のある人でした。母は慕っていたようでしたが、祖父の言うことに返答返し(違うことをいうこと)は許されないと思っていたそうです。

身びいきもありますが、私は祖父のような存在感のある人に今まで出会ったことは無いように思います。祖母に言わせると、祖父は40歳近くまでは、いったん、怒り出すと、とても恐かったようなことを話していました。ハンティングや、彫刻や、将棋が趣味だったように思います。祖父は自分で会社を起こし、商売をしていましたし、母の兄弟もそこで働いていました。母の理想の男性は、無意識の中では、この強くて恐い祖父だったように思えてなりません。

祖父の亡くなったとき、母は50歳くらいだと思うのですが、私達、家族の前では特に悲しみに打ちひしがれる風でもなかったように思えます。

また、母の兄弟の何人かは、体力もあったにも関わらず、病気で20歳代、30歳代でそれぞれ無くなっています。祖父がなくなるもっと以前です。近年も肉親の死がありました。

こうしてみると、母の周りには、肉親の死が相次いでいたことがあらためて分かりました

私は高度経済成長期にこの世に生まれ、その中で子供時代をすごしているからだと思っていたのですが、祖父の家族は明るく、勢いに満ちていたように思っていました。私もその中で大変可愛がられて育ったように思っていたのですが、悲しみの歴史もあったことがあらためて分かります。

私が母だったら耐えられないような悲しさかも知れません。

私は子供の頃長いこと、アレルギー性の喘息や扁桃腺炎で大変病弱な方でした。見た目の身体はしっかりしているし、明るいし、イタズラは人並み以上にするし、悪態はつくし・・・。

その時は分かりませんでしたが、今思うと母は私のことが大変心配だったと思います。私の上にもう一人いたようですが(流産だと思いますが)、一度も話しを母から直接きいたことはないのでよく分かりません。私を死なせるわけにはいかないというような必死の強い思いもあったのかも知れません。

怒りと笑いの感情が中心で、悲しい、切ないなど、いたずらに悲嘆、心配な感情は出さない母です。怒りの感情が蓋となり悲しみや不安を抑えていたのかも知れないように思います。

私は色々あり、46歳になって初めて子供を授かりました。子供がちょっとした風邪で、苦しそうに寝ているだけでも、どうにも辛い気持ちになってしまいます。この気持ちを押し殺します。身体が締められるような感じがします。

私の場合は、周囲からみて心配性であることが周囲からも見てとれます。

母は、泣く、悲しむ、愚痴をこぼす、心配で動揺することが無かったということでしょうか。そのような感情を押し殺していたのでしょうか、それとも動揺しない精神を作り上げていたのでしょうか・・・

私の場合は、どうしても母のように強く振舞うように必死になりますが、上手くいかず自分を責めてしまいまうこともあります。

私は深い所での共感が得られないと、我慢疲れで辛い感じがしてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 


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